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塚越健司 特別レポート:エドワード・スノーデン、日本の全体主義と監視社会化を懸念

6月4日(土)に東京大学内・福武ホールにて行われた「自由人権協会 JCLU (70周年プレシンポ) 監視の“今”を考える」は、テロ対策やイスラム教徒に対する米国の監視社会化を議論するものであった。その一環として、CIA(米中央情報局)やNSA(米国家安全保障局)の元職員で、2013年にNSAの大量監視を暴露したエドワード・スノーデン氏をインターネットの生中継で繋いだインタビューが行われた。満員の聴衆の中スノーデン氏が中継先のロシアから登場すると拍手が沸き起こった。

●NSAの諜報活動

スノーデン氏はまず内部告発までの過程を語る。彼は当初アメリカという国家の正義を疑わず、国家貢献のために働いていたという。スノーデン氏は親が公務員であり、もともと反体制的な家庭環境で育ったわけではない。しかし、NSAの電子スパイ部門で働くうちに自らの活動に疑問を持ったことが告発へのきっかけであったという。

スノーデン氏は特に無差別に通信を傍受するマスサーベイランス(大量監視)などの行為に疑問を持ったという。国家は監視に関する善悪の線引きが不十分であり、政治的な諜報活動がどんどん拡張されている。監視に関して独自の基準を持って対処していると国家はいうが、それは大衆の無知と複雑な法律を利用することで、問題の所在を曖昧にさせているという。

スノーデン氏はまた、NSAがメタデータの取得によっていちいち通信内容を確認せずとも、我々の活動の多くが知られている現状を説明した。こうした線引きが曖昧な監視行為は、家宅捜索を勝手に行っているようなものであり、推定無罪の原理に反するとスノーデン氏は主張する。

さらに、アメリカはイギリスなどと協力して、裁判所の介入なしに人権活動を行うアムネスティやBBC、ニューヨーク・タイムズといった団体を監視しているという。こうした問題に対しては、ジャーナリストや人権派弁護士といった活動家の監視に注意しなければ、弱い立場の人々がますます守られなくなるとスノーデン氏は主張する。

●日本についての危惧

監視技術によってジャーナリストや人権活動家の人権が守られなくなってきた現状に加えて、スノーデン氏は日本についても懸念を表明した。例えば特定秘密保護法は、機密情報の公開基準そのものを機密とすることで、何を「秘密」とするかを政府自身が決定することになる。そのため、市民は何が問題となっているかがわからなくなることから、権力への抵抗そのものができなくなることを彼は危惧する。

他にも集団的自衛権の憲法解釈変更、安全保障関連法などが、日本の全体主義と監視社会化を進行させると語った。特に安倍政権以降メディアに圧力がかかっているが、それは目に見えないものも多く、またメディア自身も政権の意向を忖度し、自ら自己検閲を行っていることが問題である。「日本の報道の自由は危機に瀕している」と述べるスノーデン氏の言葉には、近年世界の報道の自由度ランキングが低下している日本の状況を的確に示している。

そこでスノーデン氏は政府の方針に歯止めをかけるためにも、政府に負けないメディアが重要であるとして、メディアの連帯を呼びかける。その際、テレビ朝日やTBS、NHKのニュースキャスターの降板についても触れていたことから、日本についても詳しいことが伺えた。もちろんメディアだけでなく、一人一人が全体主義化に対して、恐れず行動することも重要であると述べる彼の言葉は力強いものがあった(ちなみにスノーデン氏は2009年に日本で働いていたこともあり、冒頭に日本語で挨拶をしたことも印象的であったことを付け加えておく)。

●「隠し事がないなら監視を恐れるな」はナチスのプロパガンダと同じ

聴衆からの質問で、自分は隠すことがないから監視されても問題ないと考える人についてどう思うか、というものがあった。スノーデン氏の答えは非常に興味深い。

まず、隠し事がないなら心配することはない、という言い方は、ナチスの宣伝相ゲッペルスが用いた典型的なプロパガンダであるという。スノーデン氏は、プライバシー概念に関する誤解があり、本来プライバシーとは自分に関わる権利だという。つまり、隠すことだけでなく、何を相手に伝えるかを自ら調整することで、自己アイデンティティを主体的に決定するための権利こそがプライバシーであるというのだ。自己情報を自分でコントロールできる「自律のための権利」がプライバシーであり、政府が隠すべき/知るべき情報を決定してはならないという。

同様に言論の自由もまた、そうした自分に関わるために必要な権利であり、言論の自由が政府によって守られなければ、政府によって自己への関わり方を規定されてしまうという。自己判断において必要な言葉を表明できることこそが重要であり、スノーデン氏はプライバシ ーを、人が自律するための権利であると考えているようである。

●日本人へのメッセージ

最後に日本に向けてのメッセージを頼まれたスノーデン氏は、「まず気にしてください。隠すものではなく、保護するものが無いかを考えて」と述べた。また、国民が政府の暴走を止めなければならないが、そのためのリスクが高いことを認識し、それでも怖がらないでください、と訴えかけた。

インターネット中継とはいえ生で登場したスノーデン氏の語り口は聡明な印象を持ち、会場からの質問にも的確に応えていた。また、自分はヒーローではなく、告発内容を発表したジャーナリストこそがヒーローであると述べる彼の、真摯な態度が強く印象に残った。そして彼は、世間の自分に対する評価は一切気にせず、自分の行動によってアメリカの政策、法律に変化があったことが重要だと考えているという。それ故、自分の人格ではなく、告発の内容に注目してほしいという。これはとても重要な意見ではないか。

我々は告発者の人格をすぐに知りたがる。どういう人物・人格が良い/悪いか、といった思考は、昨今のワイドショー等が犯罪者やスキャンダルを起こした人物評に用いる方法だ。他者の人格は重要だが、人格に気を取られすぎて、行動そのものの是非についての比較検討・判断が疎かになってはいないだろうか。不倫や政治不正の問題が注目を浴びる昨今の日本では、行為と人格の問題が切り分けられていない部分も多い。だからこそ、彼の言葉は非常に重要な事柄を示唆しているように思われる。

こうした指摘は、他者を気にするあまり、自分自身がどうするべきか判断できなくなっている我々自身の「自律」についても考えさせるものだ。プライバシーとは自分自身に関わり、自分が自律するための権利であるからだ。スノーデン氏は自分自身の情報をコントロールし、余計な情報は伝えず、自分のやるべきことに邁進している。それ故、告発そのものの善悪は別にせよ、スノーデン氏は非常に倫理的で自律した存在であるといえるだろう。

今回のインタビューではスノーデン氏の倫理が特に垣間見えるものであったように筆者には思われた。その姿は現在公開中のドキュメンタリー映画で、スノーデン氏が暴露する過程を追った『シチズンフォー』の中でも鮮明に描かれている。ウィキリークスのリークによって一躍有名になったジュリアン・アサンジ氏のように、自ら積極的に発言する彼の態度と対比しても、スノーデン氏の行為そのものを優先する態度は興味深い。(了)


塚越健司
1984年生まれ。情報社会学研究者。専攻は情報社会学、社会哲学。著書に「ハクティビズムとは何か」「「統治」を創造する(編著)」「日本人が知らないウィキリークス(共著)」など多数。TBSラジオ「荒川強啓デイ・キャッチ!」火曜ニュースクリップ担当。
提供元:ScanNetSecurity

塚越健司 特別レポート:エドワード・スノーデン、日本の全体主義と監視社会化を懸念
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