■代表合宿中の朝食の席で生じた異変
日本代表の朝は、人数確認のための点呼から始まる。敵地UAE(アラブ首長国連邦)での激闘を終え、3月24日に帰国してから迎えた2日目の朝食の席。FW宇佐美貴史(アウグスブルク)は異変に気がついた。 「あれ、コンちゃんは?」 前夜は夕食をともにしていたコンちゃん、MF今野泰幸(ガンバ大阪)の姿が見えない。聞けば、ハリルジャパンからの離脱が決まっていた34歳のベテランは、朝食前に慌ただしく大阪へ帰っていったという。 「コンちゃんらしいな、と思いましたよね。日本代表に勝ち点3だけもたらして、まるで嵐のようにカッコよく消え去っていきましたからね」 宇佐美の言葉が、すべてを物語る。苦境に立たされたハリルジャパンに、突然として舞い降りた救世主。約2年ぶりに復帰した23日のUAE代表戦で、完全無欠のヒーローになったのが今野だった。 託されたポジションはインサイドハーフ。アンカーの山口蛍(セレッソ大阪)の前方で、香川真司(ボルシア・ドルトムント)と左右対で並び、攻守両面で縦横無尽にピッチを駆けまわった。 最大のミッションはUAE代表の攻撃を差配する司令塔、オマル・アブドゥルラフマンを封じること。山口、香川、左サイドバックの長友佑都(インテル・ミラノ)らとの連動で、ターゲットに仕事をさせなかった。 極めつきは後半7分。右サイドからFW久保裕也が送ったクロスを、ファーサイドに走り込んできた今野が胸でトラップ。流れるような動きから右足で押し込んだシュートが、相手GKの股間を抜けた。 ゴールの記憶はハビエル・アギーレ前監督時代の2014年11月18日、オーストラリア代表との国際親善試合にまでさかのぼる。実に856日ぶりとなる代表通算3点目がリードを2点に広げ、勝負を決めた。 八面六臂の活躍を演じる今野の姿に、ガンバの後輩でもある宇佐美はそのすごさを再認識したと笑う。 リードを広げる貴重なゴールを挙げた (c) Getty Images 「迷いなく、気持ちよさそうにプレーしている姿をベンチで見ながら、あらためていい選手だなと」 ■34歳のベテランが指揮官を魅了した理由 不動のキャプテン、MF長谷部誠が所属するアイントラハト・フランクフルトの試合中に負った右ひざのけがで、UAE入り後にチーム離脱を余儀なくされた。盟友の無念の思いを、今野は無言で引き継いだ。 「いままで日本の中心でプレーしてきたキャプテンが抜けたことでチームが崩れてしまったら、日本のワールドカップ出場というものが本当に遠のいてしまうと思っていた。最悪な事態になりかねないので。とにかく長谷部の穴埋めというか、勝ち点3を取って日本に帰って来ることだけに集中しました」 長谷部を欠いた緊急事態に対峙するために、バヒド・ハリルホジッチ監督は中盤の形を変えた。ボランチを2人置く正三角形から、アンカーを起用する逆三角形へ。キーマンに指名されたのが今野だった。 今シーズンのガンバでもアンカー遠藤保仁の前方で、今野はインサイドハーフとしてプレーしている。武器であるボール奪取術と豊富な運動量、機を見るに敏な攻撃参加。すべてが完璧なハーモニーを奏でていた。 おそらくGK東口順昭やMF井手口陽介がお目当てだったハリルホジッチ監督は、ピッチで躍動する今野にひと目惚れしたのだろう。3月以降だけでガンバの試合へ、実に3度も視察で足を運んでいる。 昨年9月にホームでまさかの苦杯をなめさせられたUAEとのリベンジマッチ。今回だけは経験値が必要になると判断した指揮官は、フィールドプレーヤーでは最年長となる今野に全幅の信頼を寄せて招集した。 ピッチでの躍動ぶりが指揮官の目にとまった (c) Getty Images このときは長谷部を欠くとは予想もしていなかったが、ガンバと同じ中盤の形に変更し、心身ともに絶好調の今野を先発に抜擢して難局を乗り越えた。もっとも、今野自身は一抹の不安を抱いて帰国の途についた。 「折れていなきゃいいなというか、折れていないと信じていたけど。でも、最悪の事態になるんじゃないかという疑いは、心のどこかにありました。めちゃくちゃ痛いわけじゃないんですけど」 ■歴代の日本代表で愛され続けてきた理由 不安は的中する。帰国した成田空港から向かった千葉県内の病院で受けた精密検査の結果、左足小指のつけ根に感じていた痛みが骨折であることが判明した。 25日に埼玉県内で行われた帰国後の初練習。開始前に組まれた円陣で、今野の離脱が発表された。直後に両肩をポンと叩いたガンバのチームメイト、MF倉田秋に短い言葉で思いを託した。 「オレの分まで頑張ってくれ」 過去に同じような個所を骨折している香川たちに、回復までの経緯を聞いたりもした。そして、 一夜明けた25日の朝、チームメイトが起床する前に今野は再起を期して帰阪した。 「いろいろと聞きましたけど、人それぞれ折れ方が違うと思うので。ガンバのチームドクターと話し合いながら、自分の感覚も大事にしながら治していきたい。誰も好きこのんでけがをするわけじゃないけど、サッカー選手としてけがをすることはすごく悲しいし、本当に残念です。 今後は一歩一歩ですね。まずはけがを早く治すこと。その次はガンバで試合に出られるように、コンディションを整えていくこと。そこ(代表への復帰)まで考える必要はないと思うし、とにかく一歩一歩やっていくしかない。とにかくサッカーがしたいので、早く治したい気持ちでいっぱいです」 再びUAE代表に黒星を喫すれば、日本は最悪の場合、アジア最終予選のグループBで4位に転落する恐れがあった。上位2ヶ国が自動的にロシア行きの切符を得る戦いで、極めて深刻な事態に陥りかねなかった。 「いい試合ができたんですけど…代償が大きかった」 日本サッカー協会の西野朗技術委員長は、今野パフォーマンスを称賛する。その離脱を残念がりながら、今野が「監督からどんな声をかけられたのかは忘れました」と言及したことに苦笑いを浮かべた。 「褒めてもらったはずなんだけどね」 どこまでも謙虚で、決して自分を誇らしげに語ることはない。歴代の日本代表チームで、今野が誰からも愛され続けてきた理由がここにある。 ■後輩たちからイジられたパフォーマンス そして、愛されるがゆえに周囲からイジられる。たとえばUAE戦後のロッカールームでは、24歳のDF昌子源(鹿島アントラーズ)からこんな言葉をかけられた。 「喜び方がめちゃキモかったよ」 どうやらゴールパフォーマンスが奇異に映ったらしい。今野のゴールに勇気づけられ、勝利を確信したからこそ、後輩たちも突っ込みを入れたくなる。今野は照れながら、こんな言葉を返している。 「どうやって喜んでいいのか、わからなかったんだよ」 先発の座を川島永嗣(FCメッス)に譲り、ベンチから声をからして応援し続けたGK西川周作(浦和レッズ)も、今野に目を奪われたと笑顔で続く。 「一番驚かされたというか、さすがだなと思ったのはコンちゃん。あの働きぶりは、誰が見ても本当に素晴らしかった」 合流からわずか5日間だったが、あまりにも濃密な時間を共有できたからか。ハリルジャパンに招集されなかった間も抱き続けてきた、日の丸への憧憬の念を今野は思い出さずにはいられなかった。 「本当に刺激のある場所だけど、ただ生半可な気持ちで来ちゃいけない。そういうピリピリした雰囲気というか、相当の覚悟をもってやらなきゃいけない場所だとあらためて感じました」 ブラジル大会に出場(c) Getty Images ワールドカップに2度出場した。南アフリカ大会はチームをなごませ、鼓舞するキャラクターに徹し、ブラジル大会ではセンターバックに限界を感じながら必死に戦った。 35歳で迎える来年のロシア大会へ。一夜限りの活躍では、まだ先は見えないかもしれない。それでもベテランの価値とここ一番での力を示したことは、日本サッカー界に刺激を与える意味でも大きい。 「日本は絶対にワールドカップに行かなきゃいけない。そのためには予選を突破しなきゃいけない。まだ何も決まったわけじゃないので」 アジア最終予選は9月第1週まで続く。思いを託してきた仲間たちの勝利を祈り、早期復帰へ向けた努力を積み重ねながら、歴史に名前を刻んだ痛快無比なヒーローは復活の瞬間を待つ。
提供元:CycleStyle
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