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【THE REAL】初代表・杉本健勇が秘める未知の可能性…いざ、オーストラリア代表との運命の大一番へ

初代表の選手の誰もが直面する試練
初めて日本代表に招集された選手の誰もが直面する試練を、FW杉本健勇は胆力で乗り越えようとしている。プレースタイルをお互いに熟知している選手は、セレッソ大阪の先輩、MF山口蛍しかいない。

年代別の日本代表を含めても、吉田麻也や酒井宏樹、酒井高徳のDF陣とともに臨み、44年ぶりのメダル獲得にあと一歩まで迫ったロンドン五輪から、すでに5年もの歳月がたっている。

ナイジェリアの地でFIFA・U‐17ワールドカップ2009を戦った21人のなかで、今回のハリルジャパンに名前を連ねているのはMF柴崎岳(ヘタフェ)だけという状況だ。

その柴崎、DF昌子源(鹿島アントラーズ)、MF小林祐希(ヘーレンフェーン)、FW武藤嘉紀(マインツ)、そして杉本はともに1992年生まれ。逸材が多く、いつしか「プラチナ世代」と命名された。

日本サッカー界には「黄金世代」と呼ばれるレジェンドたちがいる。1979年に産声をあげ、1999年のワールドユース(現FIFA・U‐20ワールドカップ)で史上初の準優勝という快挙を達成した。

ベスト8に進んだ2000年のシドニー五輪、初めてグループリーグを突破した2002年のワールドカップ日韓共催大会でも主軸を担い、その後の日本代表をけん引した世代はあまりに有名だ。

小野伸二や稲本潤一、遠藤保仁や小笠原満男ら黄金の輝きを放った彼らを超えてほしい。26歳になる年に開催されるワールドカップ・ロシア大会で中心を担ってほしい、という願いから「プラチナ」が用いられた。

しかし、ロシア大会を前年に控えた段階で招集が5人という現状は、期待値の高さに反していると言っていい。約2年ぶりに復帰した柴崎は、自戒の念を込めてこう語った。

「長い目で見ればこういう世代が出てこないと未来もないし、いま中心にいる選手たちがずっといるわけでもない。そういう自覚ももたなきゃいけない世代だと思う」

ロンドン五輪で奮闘した杉本健勇(c) Getty Images

ハリルホジッチ監督が2年間追ってきた秘蔵っ子
同世代へ向けられた檄にも聞こえる柴崎の言葉に、杉本も思いをシンクロさせる。23歳以下という年齢制限のある五輪を戦い終えてから、次はA代表と何度も自分自身に言い聞かせてきた。

しかし、セレッソで思うような結果を残せない。迎えた2015シーズン。セレッソがJ2へ降格したこともあり、川崎フロンターレへ完全移籍した。この決断がいまにつながるターニングポイントになった。

同年3月18日に行われた、名古屋グランパスとのヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)のグループリーグ初戦。1‐3で逆転負けした一戦で、杉本は残り4分から途中出場している。

目立つような結果は記していない。しかし、当初予定になかった視察を希望し、会場となった等々力陸上競技場へ足を運んでいた日本代表のバヒド・ハリルホジッチ監督は試合後にこう語っている。

「誰も私に教えてくれなかったが、興味深い選手を発見することができた。これから追跡していきたい」

わずか5日前に就任したばかりの指揮官を、魅了したのはいったい誰なのか。一夜明けた19日に発表された、注目の初陣へ向けた日本代表メンバー31人のなかには含まれていないという。

果たして、答えは5月中旬に明らかになる。Jリーガーだけを対象として、千葉県内で開催された日本代表候補合宿。その時点でリーグ戦で1ゴールしかあげていなかった杉本が、異例の大抜擢で招集されていた。

あれから2年3ヶ月あまり。昨シーズンから再びセレッソへ戻り、チーム最多の14ゴールをあげて3年ぶりのJ1復帰へ貢献。今シーズンは自己最多となる14ゴールと大ブレークを果たし、満を持して招集された。

「ずっと目指していた場所だし、ずっと(呼ばれずに)悔しい思いもしていた。でも、この大一番で来ることができたので、いまはチームの力になりたい思いでいっぱいです」

苦難を乗り越え、目指していた場所へ(c) Getty Images

「自信がなければ代表を辞退したほうがいい」
日本代表が置かれた状況はわかっている。オーストラリア代表に勝てば無条件で6大会連続6度目のワールドカップ出場が決まり、引き分け以下ならばサウジアラビア代表を含めた三つ巴の混戦に拍車がかかる。

まさかの苦戦を強いられてきた、長丁場のアジア最終予選も残り2試合となった。オーストラリア戦を終えればすぐにサウジアラビアへ向けて飛び立ち、敵地ジッダで9月5日に行われる最終第10戦に臨む。

日本時間30日未明に、サウジアラビアがUAE(アラブ首長国連邦)代表に逆転負けを喫した。オーストラリア戦の結果に関係なく、日本はサウジアラビアで引き分ければロシア行きを決められる状況 になった。

もっとも、敵地では何が起こるかわからない。中4日とサウジアラビアよりも試合間隔が2日も少ないうえに、10時間を超える長距離移動と6時間の時差も存在する。過酷な戦いになるのはまず間違いない。

だからこそ、オーストラリアに勝って決める。前売り段階でチケットが完売し、チームカラーのブルーで染まる埼玉スタジアムで、ファンやサポーターと至福の喜びを分かち合いたい。杉本は覚悟を決めている。

「言葉を選ぶのがちょっと難しいですけど、ホンマに生きるか死ぬかというか、天国か地獄かと言ってもいいぐらいの勝負だと思っているので。もちろん戦術や守備のやり方を理解することもありますけど、味方とのコンビネーションがああだ、こうだとか言っている暇はないと思っているので。

ワールドカップに行けるか、行かれへんかという戦いで、ほとんど初めての選手ばかりだからといって気を使っている場合でもない。自信がなければ、それこそ辞退したほうがいいとさえ思っている。J1で点を取っているどうこうではなくて、自分に対する自信がなかったらやっていけないと常に思ってきたので」


ユース時代から期待されてきたサイズと質の高さ
試練なんてありえない。周囲が自分のことを知らなくても、ひと際目立つストロングポイントをアピールすればいい。フォワード陣では最長身となる187センチのボディが、日本の役に立つ場面がきっと訪れると信じている。

「高さでオーストラリアに負ける気がしない。高さの部分で、ひとつのオプションになると思っている」

高さを生かしてゴールを狙うことはもちろんのこと、オーストラリアが得意とするセットプレーを封じるミッションを担うこともある。ハリルホジッチ監督も、追跡してきた杉本の成長ぶりに目を細める。

「非常に高い質とテクニックをもっているうえ、体格もある珍しいタイプの選手だ。こうして呼べるのはすごく嬉しい。少し波があったが、いままさに進化してきていると言っていい」

ハリルホジッチ監督もその進化に目を見張る(c) Getty Images
ジュニアユースからセレッソひと筋で育ち、2010年7月1日に高校卒業を待たずしてトップチームに昇格した。プロ契約を半年以上も早めた理由を、当時の藤田信良社長はこう説明してくれた。

「ユースでは簡単にゴールを決めるし、練習でも退屈そうにしていたので。見ての通り、そんじょそこらの高校生とは明らかに違います。やがてはセレッソのエース、日本代表のエースになる男ですから」

高さと強さだけではない。50メートル走で6秒を切るスピード。サイドハーフやユース時代にはセンターバックも務めた器用さ。セレッソの慧眼が7年もの歳月をへて、現実のものになろうとしている。

「自分が入るとしたら一番前。ゴール前での仕事が重要というか、監督に求められていると思うので」

決戦前夜にアジアサッカー連盟(AFC)が発表したベンチ入りメンバーのなかに、小林や武藤を押しのけて杉本が前を連ねた。背番号は「14」。運命のキックオフは31日午後7時35分。ハリルホジッチ監督の「秘蔵っ子」は武者震いを覚えながら、出陣の瞬間を待つ。
提供元:CycleStyle

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