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「母親をビッチだと思う人もいる」日本人には理解できないフィリピン人家族構成の謎…女性英語教師の人生を探る

「心配しないで。私もいまだに家族構成が分からないから」

フィリピン人の家族構成は日本人の一般的感覚を持って聞いていると複雑すぎて混乱することが多い。「宗教の関係で避妊に対して抵抗がある人が多いことが大きな理由の一つ」とフィリピン人男性(29歳)は明かす。

マニラの語学学校で英語教師をしているMaria Clariseeさん(28歳)もその1人。ニックネームは頭文字をとって「MC」。彼女の家系図は一般的なフィリピン人のケースよりも「更にややこしい」という。



MCは、父親の顔を20歳になるまで知らなかった。いわゆる、「できてしまった」女の子だったのだ。既に父親には妻と、5人の子どもがいた。

MCの母親はしばらく、シングルマザーとしてMCを育てた。しかし、MCが3歳の頃、新しい父親が家にやってきた。母親との間に、2人の子どもができた。1人は妹。1人は弟。それぞれMCが3歳、6歳の頃だった。

この2人目の父親は自らの子どもではないMCに辛く当たり、しばし彼女を泣かせた。

6歳の頃、学校に行き始めたMC。学校までの道のりは非常に長く、家に帰る頃にはへとへとだったという。しかし、父親は学校から帰ってきたばかりのMCを間髪入れず水汲みに行かせるよう怒鳴った。そのせいで母親と父親がよく口論していた記憶がMCには残っている。



「はっきり言ってこの男についていい印象はないわね。私に辛くあたったのもそうだし、母親と住んでいてもまるで「Bachelor」(独身)のようだった。ギャンブルはするわ、他の女の人と出歩くわ...」

結局この2人目の父親は、母親の親友と共に失踪した。

「正直よかった。もしあの環境が続いていたら、私は今頃農作業をしていて、子どもも沢山いて...。あぁ、想像したくない」

MCが「Old man」と称した3人目の父親は、母親とは30歳離れていた。1938年生まれ。MCが10歳の頃、この男と母親の間に男の子が生まれた。この頃「Old man」は既に年金を受給する年齢だった。

だが、「Old man」は2人目のろくでなしの父親とは違い、子どもたちに優しかった。MCもまるで本当の父親であるかのように接した。この頃まではまだ家計は安定していたという。

だが、歯車が狂いだしたのはMCが18歳の頃。「Old man」と母親の間にまた男の子が「できてしまった」のだ。母親は仕事を辞めざるをえないし、「Old man」も働ける年齢ではない。

家計を担ったのは、既に16歳から食料雑貨店で働いていたMC。18歳からはデパートで働き始めた。給料はほとんど家族の生活費、兄弟の学費に消えた。

MCが大学に行こうと決めたのは20歳の頃。4年間働いた後だった。(当時のフィリピンの教育システムでは、高校を卒業するのは16歳)大学を卒業しなければ、いい仕事につけないと思ったからだ。学費が一番安いとされる、教員の資格が取得できる学科を選択した。

事件が起こったのは、試験前日だった。母親の妊娠が発覚したのだ。それも、MCの血の繋がった父親と。MCを生んでから21年。再び彼らは交わった。MCは信じられない程のショックを受けた。両親、特に父親をなじった。なぜ、再び。なぜ、このタイミングなのか。泣きはらした。一晩中。目がパンパンに腫れた状態で、一睡もせず、試験をなんとか受けた。

「父親はいまでも許せない。生まれてから20年顔を見せたこともなかったのに。再会した翌年にはまた母親と子どもをつくった。憎い」

なんとか試験に合格したMCは、奨学金を利用して大学に通った。フィリピンでは、日本のように大学生がアルバイトをすることは不可能に近い。

理由としては、まずアルバイトという形式が一般的ではないこと、スキルのない大学生を雇える余裕のある職場などほとんどないこと、そして何より大学生活そのものが忙しくアルバイトをする時間がないことなどが挙げられる。

MCは在学中の学費及び生活費を、奨学金、そして妹に頼った。MCの妹は既に結婚しており、旦那の給料も安定していた。彼女の家の家事を手伝う代わりに、いくらかのお金を貰った。

何度も大学を辞めようと思った。全ての生活が厳しく、スナック菓子を一つ買うことすら渋った。しかし、経済的困窮に陥る度に、妹だけではなく周りの友達が助けてくれた。修学旅行には参加しないつもりだったが、友達がカンパしてくれたお金で参加した。

「周りの助けがなかったら、絶対に卒業できなかった」

そう語るMC。今の生活は、「自分で稼いだお金で、人のお金だと気にすることなく何かを買えるから良い。学生生活は、何をするにも人のお金だったから」とこぼす。

お金を多少ながらも家庭に仕送りしていた血の繋がった父親は、近年腎臓の手術を受け、満足に働 くこともできなくなった。結局、今もMCが家族に仕送りをしている。フィリピンの家庭にありがちな光景だ。両親が働けなくなったら、働けるようになった子どもたちが経済的に助ける。一種の年金システムのようなものを、フィリピンでは子どもたちが担う仕組みとなっている。

「色々あったし、昔は母親を憎んだ時期もあったけど、ここまで育ててくれた母親を憎めるわけないよね。今は私が家族を助ける番」

そう言ってMCは微笑んだ。



28歳の彼女。MCには5年間もの間交際している男性がいるが、いまだに結婚に踏み切れない理由がいくつかある。そのひとつは、MCのような家族を向こうの家族が受け入れられるか不安だということ。

「私の母親をビッチだと思う家族は大勢いる。その娘である私を受け入れられるか。私もすぐに色々な男と子どもをつくるんじゃないかと思われるんじゃないか。正直不安」

まだ彼氏の父親には複雑な家族事情を伝えていないという。もうひとつの理由は、彼女の結婚相手に求める条件によるものだ。結婚をするからには、彼女は賃貸住宅で暮らしたくないという。

「小さくてもいいから、一軒家が欲しい。私たちだけの空間。二度と家賃に追われたくない、安定したい」

複雑な家庭環境で育った過去は、彼女の結婚観にも大きな影響を与えている。
提供元:CycleStyle

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