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新雪の時代
「ここに土に立脚した完全なる文化人が生まれ、その結合は理想的文化郷となるであろう事を確信する。」 北海道江別市の世田谷部落※をご存知でしょうか? 北の<世田谷>は、石狩川とその支流の世田豊平川、豊平川に挟まれた野幌原野の三角州に位置しています。1945年7月、食糧増産を目的とする「拓北農兵隊」として、東京都世田谷区から33世帯が入植したことがその名の由来です。エノケン一座の役者や音楽家、大学講師などさまざまな経歴を持つ人々は、数多くの困難を乗り越えながら農耕作に適さない過酷な泥炭地を切り拓きました。 その一方で、終戦まもなく共同で建てた「世田谷倶楽部」で、文学・思想・詩・音楽・書道・英語などを子どもたちに教えはじめます。さらに1947年に創刊した機関紙『新雪』では、日々の暮らしを綴った文章のほか、詩作や評論なども展開されました。この倶楽部で学んだ開拓2世の山形トムさんは、のちに「北の世田谷美術館」を設立し、現在も農民画家として制作を続けています。 本展では、入植者自身が書き残した文章や山形トムさんの絵画、地元の市民劇団「川」による演劇上演の記録など、現存する資料や作品をとおして、<世田谷>の歩んだ暮らしと文化活動を紹介する初の展覧会です。新天地で文化を自ら切り拓いた人々の活動をご覧ください。 ※北海道では、行政組織の「村」と区別する日常語として、「集落」や「コミュニティ」等の意味で部落という言葉が今も使われています。
※掲載情報について |
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