BEGIN:VCALENDAR PRODID:-//cotosaga.com//cotosaga//EN VERSION:2.0 CALSCALE:GREGORIAN METHOD:PUBLISH X-WR-CALNAME: X-WR-TIMEZONE:Asia/Tokyo X-WR-RELCALID:"" BEGIN:VTIMEZONE TZID:Japan BEGIN:STANDARD DTSTART:19390101T000000 TZOFFSETFROM:+0900 TZOFFSETTO:+0900 TZNAME:JST END:STANDARD END:VTIMEZONE BEGIN:VEVENT DTSTART;VALUE=DATE:20190820T183000DTEND;VALUE=DATE:20190821T213000DTSTAMP:20190802T005726ZUID:cotosaga.com/event/1624210CLASS:PUBLIC CREATED:20190802T005726ZDESCRIPTION:影舞の会(三)~演じるのでもなく、型もなく、人と人が向かい合うことから、生まれ、聞こえ、見えるもの~LAST-MODIFIED:20190802T005726ZLOCATION:大阪府大阪市天王寺区下寺町1-1-27 應典院SEQUENCE:0 SUMMARY:影舞の会(三)~演じるのでもなく、型もなく、人と人が向かい合うことから、生まれ、聞こえ、見えるもの~TRANSP:OPAQUE URL:http://cotosaga.com/event/1624210DESCRIPTION:人がいて、真剣な遊び。

應典院で影舞をする。
この人たちと影舞をしたいと思った。
「その影舞というものを見たい。」と言われた。
ご縁いただき、この企画を立てました。
そのことについて考えます。

應典院という場所であること、
影舞と呼ばれるもの、
このご案内の届く方々、私という人間。
経緯や要素や思ったことを
ここで簡潔に語ることができません。
ですので、これをお読みになる方が今きっと
最も疑問を持っているだろう影舞について、
少し思うところをお伝えしようと思います。

影舞と呼ばれるそれは、
様々な文脈に位置付けることができます。
真剣な遊び、
人との関わりについての学び、
一つの民衆芸能。

ですが、そのものを説明することは
困難なものです。
それは、私がある時言われた
「影舞というものがあるわけじゃないんだよ」
ということと関係しているように思います。
影舞は動きであると言えるかもしれません。

ここにあらわれる動きは、
組になった二人が向かい合い、
二人の指先と指先がその間に
モンシロチョウを挟むように
潰さぬよう飛んでいかぬような加減で触れて、
始まります。

そこからどのような動きになるかは
その二人にもわかりません。
その時それぞれに起きているのは
どんなことでしょうか。
二人の間には何が生まれているのでしょうか。
あなたとわたしとあいだ、なくなる区別。
それは本当だろうか。

そこに「表現」はないようです。
それを見る人には、何がどのように見え、
聞こえてえているでしょうか。
聞き覚えのある音楽を合わせた時、
場所が古い民家であった時、
舞い手が知っている人だった時、
桜の舞う下での時。

このようなもので、見ることはもちろん、
踊りや舞台などの経験がなくても
身体に不自由があっても誰もができるものです。
よろしければこの場をご一緒しましょう。

ご縁ありましたら、お会いできることを
楽しみにしています。

主催:音惟(おとい)

■日時
2019年
8月20日(火) 18:30~21:30
8月21日(水) 18:30~21:30

※二日間の会です。二日目のみの参加は不可。

■会場
浄土宗應典院 二階 気づきの広場

■定員
15名程度

■料金
お金のご寄付(0~∞)、物、事、何れでも時間の間隔があっても構いません。

■お申込先
enza.otoi@gmail.com

■お問い合わせ先
enza.otoi@gmail.com

■詳細HP
https://peraichi.com/landing_pages/view/otoi0kagemai1END:VEVENT END:VCALENDAR