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【東京2020とわたし】「仕方ないんじゃないですかね」日本が輝いた1964年、当時の大学生が抱いていたオリンピックへの思いを考察

2020年に開催を控える東京オリンピック。現在就活をしている学生の中には、国家の威信をかけた栄光の舞台に、何らかの形で関わりたいと考える若者もいるかもしれません。しかし、それは1964年の舞台でも同様だったのでしょうか。

五輪が行われた「1964年」は、東海道新幹線の開業もあり、日本が戦後復興を成し遂げ、もっとも輝いていた年でした。当時の学生はどういった思いで、どういった環境で何を考え日々を生きていたのでしょう。1964年度の新聞に、当時の大学生像をみました。

総務省の統計によると、1964年の大学・短期大学への進学率は19.9%。2015年時点の56.7%とは大きく異なる割合です。それでも当時は大学、大学生の数が大きく増え始めていた時代でした。

1964年10月5日付の朝日新聞の記事では、「『石を投げれば大学生に当たる』ということばが実感として当てはまるほど、大学生は増えていったよう。大学は、もはや一部の“エリート階級”だけのものではなくなったのである」と書かれています。

もちろん、当時の人口が現在の76%ほどだったこと(9718万人)と、1964年と2013年時点の男女寿命が平均して13歳ほど短かったことなども考慮しなければならないでしょう。

1964年 とある市場の様子(c) Getty Images

大学がある意味「大衆化」していくと、問題が起こるかは想像に難くありません。

「近ごろは無気力な学生が目立って増えた」

「受験体制のユガミがだんだんひどくなってきたことだ。少しでもいい大学へ入るための準備は、高校から中学へ、中学から小学へと年々早くなっている。その長い受験準備期間を支える経済的条件のない家庭の子どもは、途中で脱落する。要するに貧乏人は少しずつ大学に来れなくなった。」

「大学で学問よりも社交を学びたがる学生が多すぎる。苦しい受験勉強に疲れて、大学とは遊ぶところだと考えているようである」

「卒業して三年ぐらいサラリーマン生活にもまれてくると、なんとなく凡俗常識化してきて、(中略)さらに家庭をもつようになると、いっそうなりさがって、まことにつまらない退屈な男になってしまう。あとはそのまま生きて、それで一生が終わるらしい感じを受けてしまう。」

これは近年の新聞から引用したわけではありません。1964年9月28日付、および10月5日付の朝日新聞の記事からの引用です。どうやら、1964年時点と、現時点で大学生、大学受験を取り巻く状況について指摘されていることは大きくは変わっていないようです。

また、近年しばしば問題となっているアルバイトについても、ある大学生の嘆きが1964年9月28日付の朝日新聞に載せられていました。

「私たち大学生にとって、アルバイトは、もはや必修科目の一つとなった」「一体私たちは講義の合間にアルバイトをしているのか、アルバイトの合間に学校に顔を出すのか、わからなくなった」

単純化すると「今の大学生は学歴を求めた受験に疲れ、大学には遊ぶために来ていて、授業よりもアルバイトを優先し、なんとなく就職していく」といったところなのでしょうか。現在の大学生に指摘されていることとほぼ同じ印象を受けます。多くの学生が学生運動への関心と興味を失ったこの頃、現在まで続くテンプレートとも言える大学生像が生まれたのかもしれません。

多くの大学生が目指す「サラリーマン」を取り巻く環境も現在とはまた異なっています。高度経済成長期、「ハナよりダンゴ、ヒマよりオカネ」「週休二日制は、サラリーマンの夢」といった時代の中で、働き方についても徐々に意識が向けられてきていたようです。少しずつ革新的な企業が隔週で土曜日を休みにしたり、一定期間だけ試験的に土曜日を毎週休みにするなどの制度改革を行い始めていました。

1964年のオリンピック期間中、記念講堂がフェンシングの会場になることから全学部を17日間休みにした早稲田大学。学生も「オリンピックだから仕方ないんじゃないですかね」とあっさりしていたようです。その口ぶりからオリンピックに対する受動的な姿勢も見て取れます。

当時の一般的な大学生にとって、オリンピックは積極的に関わっていくものではなかったのかもしれません。さて、2020年に控える東京オリンピック。現在の学生は、どうこの大行事に関わっていくのでしょうか。

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【東京2020とわたし】過去から学ぶ、新聞か ら読み解く東京1964 https://t.co/tBYzyn0fwfオリンピックをきっかけにして使われなくなっていった、「BG」という言葉がありました。 pic.twitter.com/RPTYcBJE14— CYCLE-やわらかスポーツ (@cyclestyle_net) 2017年4月21日

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提供元:CycleStyle

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